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エンジニアとして、どうキャリアアップするのか?

私自身が、30年間もエンジニアを続けてきた軌跡を書いていきます。
自分としてはエンジニアとしては良い人生を送ったと思います。
実際の派遣先での出来事や、その時どのような思いを持っていたのかを赤裸々に書いていきますので、これからエンジニアになろうと考えている学生や、エンジニアに転職してみようと思っている方、是非参考にしてください。

目次

エンジニアとしてスタート

重電機メーカで設計者としての道をスタートさせました。
世界でも名の通った製作所です。
1989年だったので、東海道新幹線のスピードアップが急務でした。
なのでそれ用の大型変圧器の設計でした。

当時はCADはなくってドラフターによる手書きの時代。
ドラフターがわからない人は調べてみてくださいね。
下にリンクを貼っておきました。

T定規じゃなくて良かった。
しかもアームタイプじゃないし脇机もあったので環境は素晴らしかった。

初めてその職場に入った時、ドラフターがたくさん並んでいたので、先が見通せなくてちょっと息苦しさを感じていました。

自分は知られていない

大きな製作所だったこともあり、出向で来ている人や、子会社から来ている人、関連会社から来ている人などたくさんいて、派遣という当時あまりメジャーではなかった形態で来ていてもあまり珍しがられることもありませんでした。

しかし、全く関係性のない派遣会社からの派遣社員だったので、私のことよりその会社のことは皆さん興味津々。当時にしては珍しいカタカナの会社名でしたからその名前の由来もよく聞かれました。

ちなみに
機械、電気、情報のテクノロジーと言うことでの名前でしたが
本当のところは本社の所在地の名前を取ってと言う話です。

周りは同年代が多かったこともあって、超人見知りの私でも結構早く馴染むことができました。
当時、私はタバコを吸っていて、今では信じられないでしょうけど職場の自席でも吸うことができました。
そのような環境だったことも早く馴染めた理由の一つです。
休憩時間になると私の周りにタバコを吸う人が集まって来ていました。

やはり話をするということが、人との距離を縮めます。

その時の仕事への意識

そんな状態で少しずつでも馴染んできましたが、仕事はまだまだ半人前にもなっていないレベルです。

当時は業務指示者から手書きで書かれたメモを図面化するようなことが多かったです。いわゆるトレーサー。
でも製図は、実は苦手でした。

学生時代は友達が描いた課題を上からなぞって提出していたくらい。
寸法もどこに入れるのが良いのかなんて全くわからなかった。

でもやらないわけにはいかなかったんです。

当時から派遣社員という意識は強かったんです。
即戦力として期待されて派遣されているのだから、仕事はできて当たり前。
つまり製図もしっかり描けて当たり前という気持ちで取り組んでいました。

そんな思いを持って図面は描いていましたが、自信なんてなくってどこかで誰かがなんとかしてくれているってずっと思っていました。

仕事に対する意識が変わった時

そんな時事件が起きたんです。

設計は図面を出図すると、その後は部品の手配をしていきます。
当時の派遣先はまとめ表という図面があって、そこに必要数を書いていきます。
ですので、基本的に図面を出した次は別のプロジェクトの仕事をすることが多くって、それでもたまに図面の問い合わせなんかがありました。

派遣されたばかりということもあり、図面にサインはしても、困っている現場は私のことなど知りませんから、別の人に問い合わせをするわけです。
なので、しばらくはトラブルが起きても私が呼び出されることはありませんでした。

ところが、一緒に仕事をしていた方が体調を崩して休みがちになり、とうとう休職という事態になりました。

なんか嫌な予感がしていました。

そんな時の嫌な予感は当たるもの。
図面の問い合わせではなく、なんと据付現場からの問い合わせ。

「配管を通す予定のところに壁があって、施工ができない。」

私の責任ではありませんが、他に対応する人がいません。

主任技師(課長)から指示が出て、「よろしく」って簡単に言われました。
これまで図面は描いてきました。でもその後の流れは知りません。
あっちこっちで聞いて設計をし直してなんとか出図しました。

現場での出来事

現場から呼ばれました。

「すぐ来い!」

肝を冷やしました。

言われていることが全く理解できない。

その日は雨が降っていて、設計と現場がちょっと遠かったのですが、傘などさしてのんびり歩くこともできません。
現場に行って、担当の方から開口一番

「自分でやれ!」

現場でのお約束の言葉です。

茫然と立っていると、邪魔扱いされ

「こんな仕様書でできるか」

そういって図面と仕様書をゴミ箱に捨てられました。

急いで設計に戻って、他の人にいろいろと教えてもらいながら、電話でフォローもしてもらいながらどうにか現場で図面を受け取ってもらいました。

雨の中確か5往復くらいしました。ずぶ濡れになりながらも、図面と仕様書はジャンバーの内側に入れて丁寧に扱ったことを思い出します。

そこまでの態度を理解してくれて、最後には

「わかった!あとは任せとけ」

そう言われて、なんとかすることができたんです。

この時の現場での出来事からですね。
図面にサインをしている以上、どんな問い合わせにも対応することと、仕事の流れをしっかりその場で理解すること。
私の設計者としての基礎が叩き込まれた瞬間でした。

契約の終了

現場での出来事があってからは心を入れ替え?ではなく、設計者としての心構えをして仕事に当たったわけですが、派遣社員です。契約の終了があります。

その当時、1991年。バブル経済の崩壊です。
今では考えられないような契約の終了の仕方でした。
2週間前まで、設計現場の課長も契約が終わることを知らされていない。
ありえない状況ですよね。

1ヶ月前にその工場の資材部長が派遣元の事務所に来て、何月何日でこの人の契約を終わりにしたいとわざわざ言いにこられたんです。
設計の現場の意見、開発の進捗なんて無視です。
派遣先のお金を出すところが設計ではなく、資材ということもあったからですが、その話を設計を通さずに、いやせめて連絡くらいするもんですが、それもなくいきなり契約を終わりにするって派遣元にやってくる。

その時に外注にお金を出すところが間違ってるって、お金の流れを知った時でもあります。
派遣社員で、子会社でもなければ孫会社でもなく系列会社でも協力会社でもない完全な外様の会社の人間の扱いってこうなんだなってことを嫌っていうくらい感じました。

しかし、ここで思ったんです。

外様じゃない人たちは例えスキルがなくてもずっとそこで働くことができる。ぶら下がっている状態。
私はそんな働き方はそもそも嫌でしたし、裏を返せば自分にスキルがあれば他でもやっていける。
会社に頼らなくてもいいのかも?なんて思いが芽生えました。

将来に向けたエンジニアとしての考え方

ありえない契約終了があったおかげで、私のエンジニアとしての気持ちが確立しました。

それは
エンジニアとしてのスキルってなんだろうか?
設計とは何なのだろうか?
そもそも働くとは?

これを常に内省して、言語化しておくこと

これがこの派遣先で学んだことです。
この学びがその後30年間もエンジニアを続けていく原動力になりました。

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